きみのたまものと

悔しい、もどかしい、恥ずかしい。

苦い感情が蘇ってきました。

 

中学生の頃のことです。

 

 

キャッチボールはいつも、

二人組に頼んで入れてもらった。

良く思われていない子に、

舌打ちされながらやってもらったことも。

 

広いグラウンドに壁はない。

後ろにそらしたり暴投したら、

遠くに転がっていくボールを、全速力で追いかける。

キャッチボールなら、大声で叫んで、相手に謝ればまだ済む。

ノックなら、グラウンドの全員から罵声を浴びて、必死で追いかける。何千回は言った、「モウイッチョオネガイシマス!」。

試合なら、保護者の溜め息、相手チームの下級生の嘲笑、そしてなにより、残念そうな顔の監督、コーチ。

そんなときは、怒ってもくれない。

 

うちの部は上手くても下手でも、

上級生には全員に、練習や出場の機会をくれた。

たとえ練習試合の2試合目、B戦の最後でも。

 

代打で出て、前に飛べば奇跡、フォアボールを選べれば上出来、三振ならいつも通り。

サインはいつも「打て」。

それしか出来ないから。

3回ストライクを振って、悔しそうな顔をして帰る。

でもみんな、僕が打てるなんて はなから思っていない。

だから、「振って三振オッケー!」。

 

朝練と放課後の練習は毎日、土日は1日練習したり、試合に行ったり。

もちろん体力的にもキツかったけど、

なにより、心が辛かった。

 

野球は分かりやすいチームスポーツ。

毎日、今日はどんな迷惑をかけるのか、何回謝ることになるのか、

怖くて怖くて仕方なかった。

 

でも唯一チームの誰にも負けなかったのが、

練習中、試合中の声だしだった。

たとえ相手のほうが凄く上手くても、ミスは思いっきり責めた。

内心飛んでくるなと思っていても全力で、打ってこいと叫んだ。

 

やさしくされたいわけでも、許してほしいわけでもなかった。

声を出してるときだけは、

空気なんて読んでたまるかという、

意地があった。

読んでたら、本当にただの下手くそだった。

 

普通に考えたら辞めるべきだった。

楽しいことなんて、0.1%あったかどうか。

もちろん、少し大人になって、

なんであんなに何も分かってなかったんだろう、もう少しうまくできたのに、もっと楽しめたのに、と思うことはある。

それでも、もし人生をやり直せるとしても、いくら金を積まれても、

中学だけには絶対に戻りたくない。本気でそう思ってた。

 

だけどどうしてだろう、

いいな、うらやましいな、と思った。

 

あの時間がいかにかけがえのないものだったのか、

少しずつ分かるようになってきた心に、確信をくれた。

野球部としてカウントされなかった

坊主頭の中学生の存在を、真っ正面から肯定してくれた。

 

旭が、たまらなく眩しかった。

 

自分がもう、部活に励む高校生を

そんなふうにみるようになったこと、

それが少し遠い記憶になりつつあることに驚きながら

 

でも、まだまだ自分だって

もっと頑張れるはず。一生懸命になれるはず。

旭のように。あの頃のように。

 

サークルの代表、ゼミ長、2つのバイト先では子どもたちから先生、なんて呼ばれても

 

ふわふわしてる。

呼び名・立場だけが一人歩きして、別の人間がそこにいるかのよう。

この感覚は一生消えないんだろうと思う。

でも、一生懸命になれていないからだとも思う。

 

心から納得できるまで、

いつか自分がやりたいこと、好きなことになるまで

 

あの頃のように。旭のように。あすのように。

まだまだやらなければ。

 

久しぶりに素振りをしたくなった

グローブを出して着けてみたのは、

きっと僕も、野球が好きだから。

 

思い出させてくれて、ありがとう。

 

 

 

これがあすが演じた旭ちゃんから、

僕が一番強く感じたことです。 

 

もっと違った感じ方をした人もいるかもしれない、もっと強くあす自身の姿を重ねた人もいるかもしれない

 

僕は、あすが演技してるところをもっとみてみたい。改めてそう思いました。

いつか人生で一番辛い瞬間がやってきたとき、

あすが演じる誰かの姿は、あすから直接言ってもらった言葉よりも、僕を救ってくれるのかもしれない。

そんな気がしました。

 

森ノ宮ピロティホールの、ほとんど一番後ろから観ていました。

ちゃんと届きました。

 

ありがとう。