3月13日 20thシングル選抜発表

 

 

ずっと不通状態だったのに、

最近になって急にこんなに書いて、ごめんね。

勢いに任せて書けば良いってもんじゃないよね。

 

でも本当に、あすが読んでくれていたら、

僕はそれで十分なんです。

 

無理に何か返してくれようとしなくても、

僕のほうこそずっとあすから受け取りっぱなしで

いくら僕が書いても、足りないくらいなんだから。

読みっぱなしでも、既読スルーでも、大丈夫だからね。

 

 

今回こそは短めに終わろうと思っていたんだけど、また長くなってしまいました。

 

選抜発表でのあすの言葉を聴いて、

 これまで話してきたことより少し

踏み込んで書いてみたつもりです。

 

ともすれば寂しい誤解を生んでしまうような

書き方をしてしまったところもあるかもしれません。

 

でも、「あすのことを好きな人が書いた」ということを、

どうか心にとめて、読んでくれると嬉しいです。

 

 

20thシングル、

1列目での選抜メンバー、本当におめでとう。

 

これで10作連続、丸3年以上、選抜メンバーで

あり続けていることになるね。

 

「高校の3年間で前に行けなかったら、

あすが乃木坂で成功することは、諦めないといけないかもしれない」

 

今だから言えるけど、そう思っていた頃もありました。

こんなに色んなあすがみられるようになるとは、

願ってはいても、想像できませんでした。

 

テレビ、雑誌、ラジオ、特に最近はCMもたくさん。

 

あすの活躍が沢山みられることに慣れてしまっているのかもしれないけど、

それでもやっぱり嬉しいです。

 

カバーガール大賞も、おめでとうだね。

ちょこっとしか感想は伝えられてないど、

全部ちゃんと買ってるんだ。コレクターかよってくらい。笑

 

CMは流れてると母とか かっか がいつも教えてくれてね。

「今回飛鳥ちゃんやん良かったやん」

とか、「これどこにいてるん?あーそこか!」

って言いながら見てます。

「へいっ」がとにかく可愛いです。

 

ファンの人の数も、ものすごく増えたよね。

全握はいつも昼飯抜きで並んでます。笑

 

あす、すごいな、嬉しいなって思うことが本当にたくさん。

 

でも同時に、無意識のうちに見ないようにしている、

考えないようにしてることも、増えたのかもしれない。

 

短い間しか顔を合わせることのないような人たちのことは、

そこまで深く考えなくてもいいと思う。

その時間をお互いが楽しめれば、それでいいと思う。

 

でも、その人の人生をいつか振り返るとき、

絶対にあすのことが出てきてしまうだろう、っていう人もいる。

 

ずっとあすのことを熱心に応援していて、

かなりの時間・お金・体力を使ってきた人。

 

僕と同じようにあすのことが大好きで、

同じような夢を持つ若い男の人。

 

そして僕を含めそんなファンの皆さんの数は

決して少なくない。

 

僕が一番見ようとしてこなかったのは、そんなみなさんの存在。

僕はみなさんのことを裏切っている。そのこと。

 

でも僕はこれからも見ようとはしないと思うし、

見えていないことがあっても、気づかないと思う。

 

大前提として、

誰かのためにと思ってしてることであっても、自分でする限り、それは全て自分のためにすることだから。

 

もちろん、何かをしてあすが喜んでくれたら嬉しい。

でももし喜んでもらえなかったとしても、それ以上を求めちゃいけない。

 

あすに何かが出来たこと自体を良かったと思えるように、

後から求めてしまわないように、

自分のなかで納得できてから、すること。

僕はそれを大切にしたいと思っています。

 

その通りにできていないこともあるかもしれないけど、

少なくとも僕はあすのことを考えてるとき、それだけで幸せです。

だから僕はそれだけで既に報われています。

 

そして愛情が大きいほど、自分にとって良かったと思える点は、低くなる。

 

僕はあすのことを深く愛しています。

だから君を思うように愛することができるだけで、僕は幸せです。

 

他のみなさんも一緒だと思う。

自分のためじゃなきゃ、愛していなければ、

こんなに長い間気持ちは続かないよ。

 

 

もうひとつの理由は、

アイドルとファンは1対大勢だと思われがちだけど、

ファンから見れば、1対1だから。

 

それが崩れない限り、ファンの1人が何を言おうが考えようが、

他の1人から見れば、戯言であり妄想でしかない。

 

そう思って僕は、罪悪感の7割くらいをごまかしてる。

3割くらいは自分のことを信じられなくなるという、矛盾をはらんだ理屈だけどね。

 

特にあすはこれまで、できるだけ1対1の関係で接することを、

すごく大切にしてきてくれた。

いつもそれが自然に伝わってくるし、

あすの魅力的なところの一つだと思う。

 

でも時として一人一人と1対1で接することは

「人によって態度を変える」ことに

なってしまうのかもしれないね。

 

僕は自分の1対1の関係を

どこまで信じ切ることができるかだと思うけど、

それが難しくて、傷ついてしまう人もいるかもしれない。

僕も全くない、と言うと嘘になるかもしれない。

 

でもそれって、どんな人間関係でもそうだと思っていて。

傷つけてしまうことも傷つけられることもあるけど、

お互い様だと思って、

少しでも多くの愛情を持って接することが出来るように、お互いに頑張るしかない。

 

 

あすに関わること以外でも、他にも

僕が見えないフリをしていることはたくさんああります。

そして歳を重ねるごとにずっと増えていく。

 

そうなっていくだろうと思っていたから、

自分の中で、それらに対する考えも用意していたつもりだった。

 

でも頭では大丈夫だと思っていたことも

実際目の当たりにすると、耐えられなかったりする。

実際を分かっていなかっただけだと、

後から気づくことのほうが多い。

 

 

今回もそうかもしれない。

 

あすが「普通の人が学ぶであろうことを学ばずにきた」

という意識を持ってることを、

どこかで知っていたつもりで、

そのことについて、何も考えてこなかったのかもしれない。

 

少なくとも、僕の思いは伝えてこなかったよね。

 

ここからはあすよりほんのちょっとだけ長く生きてきた先輩として、僕が言いたいことだけ言います。

 

生駒さんの卒業発表の言葉にも僕は少し違和感を感じました。

 

あすがもし、

短くて12年から長くて20年学校に通って、

部活をしたりアルバイトをしたりしつつ誰かのことを好きになって、

就職するなり起業するなりして働くようになる。

いずれは誰かと結婚して家族をつくっていくこと。

 

芸能の世界でいうなら若手の劇団員や芸人さんとして

辛い下積み生活を経て成功を掴んでいくこと。

 

そういった人生を歩むことが普通だと思っていて、

そこでしか学べないようなことがあって、

自分がそれを知らないことに漠然と不安があるのだとしたら、

それだけであすはすごく普通だから、安心してほしい。

 

世の中にはごく少数の「自分が特別な存在であることを自覚して生き続けられる特別な人間」、も存在すると思う。

それも素晴らしいことだと思う。

その人はきっと迷うことなくまっすぐに生きることができるだろうから。

 

でも多くの人はそうじゃない。

誰かから見ればすごく特別に見える人生を、

「自分はいたって普通な人間だ」と思いながら歩んでいる。

程度の差はあるかもしれない。

でも誰にも誰かと同じ人生を歩むことなんてできない。

 

 同じような環境で育ったからといって、

 同じようなことを学び、同じような人間ができるわけでもない。

 

 学ぶはやさも、学ぶことも、人それぞれ。

同じことを学ぶとしてもタイミングは人それぞれだし、

同じタイミングで何かを学んでいても、内容は人それぞれ。

 

設楽さんもおっしゃっていたけど、

だから人は誰でも未完成だし、だから魅力的なんだと思う。

 

魅力的な誰かを尊敬することと、自分を卑下することは、全く別物だと思います。

僕はあすのことを色んな点において本当に尊敬しているけど、だからといって自分にはそんなところが無いと思ったことは、全くありません。

 

それにもし人が人生で学んできたこと、

その人の経験値を量ることが出来るとしたら、

あすは少なくとも僕より、ずっと多くのことを学んできているはずだよ。

自覚はなくても、絶対にどこかに蓄積されている。

あすはそれだけ濃い人生を送ってきていると、心から思います。

 

 不安なら何でもたくさん話してください。

僕はあすが今は僕にとってすごく特別に見える生き方をしているぶん、

自分はできるだけあすにとって特別に見えるような生き方をしたい、と思っています。

それが一番良いと、僕は判断したからです。

僕なりに精一杯応えます。

 

でもそれもこれも、あくまで僕一人の考えです。

違うなと思ったら、忘れてくれてださい。

あすの気持ちを一番に大事にしてください。

 

 

長くなってしまったけど、これで終わるね。

読んでくれてありがとう。